ビールのおいしさを広めた日本初のビヤホール

日本人にビールのおいしさが広く受け入れら、今日のようなビール文化が根づくまでには、長い時間と数々の試みが重ねられてきました。その歩みは、日本が近代化の真只中にあった明治時代へとさかのぼります。
1887年、東京・銀座に「日本麦酒醸造会社」を設立。1889年に恵比寿に醸造場が完成し、翌年1890年に『恵比寿ビール』を発売しました。そして1899年、現在の銀座8丁目に誕生したのが日本初のビヤホール「恵比寿ビール BEER HALL」です。

「恵比寿ビヤホール」日露戦争戦勝記念風景と当時の新聞広告
「恵比寿ビヤホール」日露戦争戦勝記念風景(左)、当時の新聞広告(右)

日本に“ビールを楽しむ場”をつくる

当時の日本において、ビールはまだ贅沢品であり、誰もが気軽に楽しめるものではありませんでした。そこで、ビールのおいしさを直接伝える場をつくろうと考えたのが、当時の社長・馬越恭平です。こうして、日本初のビヤホールが生まれました。
このビヤホールは、工場から直送された出来立てのビールを味わえる場として開業し、『恵比寿ビール』の宣伝の場であると同時に、ビールのおいしさを体感してもらうことを目指したものでした。
さらに、提供方法だけでなく、樽材を使ったイスやテーブルなど、内装にもこだわり、単にビールの普及にとどまらず、「ビールを楽しむ」文化そのものを育んでいきました。

銀座ビヤホールへ、思いは受け継がれる

その後、日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒の3社は合併し、大日本麦酒が誕生。1934年には、大日本麦酒の本社社屋として新築したビルの1階に「銀座ビヤホール」を開店します。
馬越恭平の「訪れる人々が心を開き、日常を忘れて屈託なく笑い、明るい明日を語り合える。それこそがビールの力であり、ビヤホールはそういう場所であってほしい」という想いを背景に、「豊穣と収穫」をコンセプトとして設計された「銀座ビヤホール」には、随所に豊かな実りを感じさせる大麦や葡萄をモチーフとした装飾が施されています。
時代を経た今も、創建当時のままの姿を残し、現存する日本最古のビヤホールとして、その歴史と文化を現在に伝えています。

竣工当時の「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」
竣工当時の「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」

受け継がれる一杯の体験

「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」をはじめとするビヤホール「銀座ライオン」は、地域に根差し、長い歴史を重ねてきた店舗が数多くあります。徹底した品質管理や、注ぎ方へのこだわりを大切にしながら、歴史と伝統を感じつつ、活気のある空間の中でビールを楽しむ、唯一無二の体験を提供しています。
一杯のビールが、誰かの心を満たし、時間を豊かに変える。その価値を、これからも大切に未来へつないでいきます。